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ICSDはマテリアルズ・インフォマティクス発展の礎

ICSD ユーザーインタビュー

2019年7月掲載

京都大学大学院 工学研究科 材料工学専攻 田中研究室

教授 田中 功 先生
助教 林 博之 先生

田中研究室の先生方 (右から) 教授 田中 功 先生、助教 林 博之 先生、准教授 世古 敦人 先生、特定准教授 東後 篤史 先生

AIが注目される近年、材料科学と計算科学を融合させたマテリアルズ・インフォマティクスの最先端をいく、京都大学大学院田中研究室の皆様に、ICSDの活用方法について伺いました。 

「マテリアルズ・インフォマティクス」でまだ誰もやっていない新しいことを

——マテリアルズ・インフォマティクス(MI)に基づいた新材料の探索を研究テーマに選ばれたのはなぜですか。

田中先生:私たちは、計算科学と実験科学から得たデータを基に、AIを活用したMIの分野で材料探索の研究をしています。当研究室では以前より、第一原理計算を用いた材料研究を行っていましたが、近年の計算機技術の飛躍的な進歩によって、今は精度の高い理論計算がごく短時間でできるようになったことから、これらの計算手法を使ってもっと新しいことをやりたいと思ったのがきっかけです。多くの研究者がそうであると思いますが、「人ができないことをやりたい」という強い想いが私たちの根底にありますね。

——先生の研究テーマの概要を教えていただけますか。

田中先生:従来の材料探索研究では、研究者がそれまでに培った経験や勘を融合し、あたりをつけて実験し、失敗すればそれを経験の中に組み込んで考え直し、また実験をするというプロセスを繰り返すことで、新発見へのアプローチの効率を高めてきました。このプロセスはまさにAIの機能そのものです。ただ人間は繰り返すと疲れますし、忘れることもあります。そこをAIの機械学習に置き換え、バーチャルなスクリーニングを繰り返すことで、最適解へ到達する効率を大幅に向上することができます。
私たちは、量子力学の原理に基づいた第一原理計算を用いて多数の物性を予測し、そのデータベースを基に、AIによるデータマイニング(必要なデータの抽出)を行って、特性のわかっていない既知化合物の物性だけでなく、未知化合物の構造や特性も予測しています。
あわせて、その予測を実証する合成実験も行っています。実験ではできるだけ多くのデータを取得できるよう、複数並列して行うようにしています。計算と実験の両方から、MIの礎になるデータをそろえることに注力しています。

田中先生

バーチャルスクリーニングによる材料探索

ICSDは無機化学研究者の英知の結晶

——ICSDはMI分野においてどのような立ち位置にあるのでしょうか。

田中先生:材料研究にMIを適用しようとするときに、最も大事なのは良質なデータです。良質なデータなくしてAIは機能しません。ICSDはこれまでの無機化学研究者の英知の結晶であり、誰でも使えるそのデータは極めて有用だと感じています。これまでに世界中で行われてきた無機化学領域のMI研究は、現在のところすべてICSDのデータをベースにしています (*)。ICSDに立脚しているといっても過言ではないと思います。

* ICSD を使用した MI 研究の論文リストはこちら

——研究室では実際にはどのようにICSDを活用されているのでしょうか。

田中先生:様々な研究で活用しています。例えば、ICSD掲載の一部の化合物データについて第一原理計算で熱伝導率を計算し、それをインプットとしてAIに機械学習させ、ICSDに収録されているすべての化合物の熱伝導率を予測してランキングしてみました。その結果、従来は知られていないような超低熱伝導率の物質が多数あることを発見しました。他の物性についても同じようにランキングすることは可能でしょう。
また、ICSDに収録されている化合物はこれまでに発見され発表されたものだけですので、その外に存在するはずの未知化合物を探索する方法を、ICSDのデータを足掛かりに開発しています。ICSDに収録されているプロトタイプ構造を基に、第一原理計算を組み合わせて新規化合物を探索・合成する研究にも活用しました。

ICSD(web版)

ICSDには、文献中の化合物情報や結晶学データ、実験情報だけでなく、Structure typeやANX formula、AB formulaなど付加情報も収録されています。

Structure typeの一例

ICSDを活用し新規化合物を発見

——プロトタイプ構造を利用した新規化合物探索とは、具体的にどのような内容でしょうか。

林先生:ICSDに収録されたプロトタイプ構造(ICSD中のStructure typeやANX formula)を利用して、光触媒活性を示す新規の無機化合物を発見しました。プロトタイプ構造に、様々な元素を組み込むと、仮想的な結晶を作ることができ、第一原理計算で構造最適化することで、未知物質の構造や物性を推定することが可能です。この研究では、まずSn(II)と4Aから6A族元素との複合酸化物群について、ICSDに収載されている9136種のプロトタイプ構造を対象に、3483種の第一原理計算を行い、形成エネルギーを評価しました (結果は下図)。図中の青い〇はすべて異なるプロトタイプ構造から計算した結果です。各組成における最低エネルギーの結果を使ってエネルギーの凸包(与えられた点をすべて包含する最小の凸多角形:コンベックスハル)を求め、その凸包上にある結晶構造と組成の化合物は熱力学的に安定であるとみなしました。そのうちすでにICSDに収録されている既知のものは除き、バンドギャップなど他の計算結果も参照してスクリーニングしました。その結果に基づきSnMoO4を実際に合成し、予測したとおりの結晶構造を有する化合物を得ることに成功しました。さらにSnMoO4は、既存の触媒よりも高い触媒活性を持つことも確認しました1)

林先生

図 SnO-MOq/2(M=Ti, Zr, Hf, V, Nb, Ta, Cr, Mo, W)擬2元系におけるSnOとMOq/2を基準とした様々なプロトタイプ構造についての形成エネルギーのDFT計算結果と凸包。 赤文字は既知物質を表す。

SnMoO4の結晶構造

1) H. Hayashi et al. Advanced Science, 1600246 (2016). https://doi.org/10.1002/advs.201600246

JAICI:無機化合物を新規に発見するのは難しいことですよね。

田中先生:そうですね。有機化合物と違って、高温で焼いて作る無機化合物において単純な化学組成のものを新たに発見するのは割と珍しいことです。未知の化合物の探索は、広い宇宙で新星を見つけるような作業ですが、よい物質を発見できると嬉しいですね。

役に立つことを目指すな。新しいこと、面白いことをするのが研究だ。

——先生の研究のモットーはなんでしょうか。

田中先生:モットーは「役に立つことを目指すな」ですね。役に立つかどうかは歴史が判断することです。それよりも、自分たちが面白いと感じること、新しいことをやるべきだと私は考えています。重要な成果が出せていれば、いずれ誰かが評価し、どこかで必ず役に立つことでしょう。発見した物質そのものは役に立たなくても、開発過程の論理が新たな進歩につながる場合もあるかもしれません。すぐに役立つことばかりを考えようとすると、研究の手も足も縮こまってしまいます。大学の役割は、基礎研究で科学の基盤をしっかり築き、10年後あるいは50年後に成果が見いだされるような研究をすることだと思っています。また、そのような環境で長期的展望を持って将来を支えてくれる人材を育成したいと考えています。

——今後の抱負をお聞かせください。

田中先生:無機物質の結晶構造に関する理論は、ライナス・ポーリング以降、それを超える単純明快なものが出てきていません。これまでの材料探索は長年、ポーリング則を用いた様々な経験則に基づいて行われてきました。私たちが今行っている研究を進めた先で、いまインターネットで皆さんが情報検索をするような手軽さで、化合物の物性や構造などを予測できるシステムを作りたいですね。そうすると、単純な経験則に依らない材料探索ができるのではないかと、つまりポーリングを超えることができるのではないかと考えています。

林先生:田中先生もおっしゃったように、どんな物質であれば存在し、どんな物質はないのか、パッと答えを出せるような技術開拓をしたいですね。私たちは、ICSDにある化学組成を機械学習させたうえで、ICSDにない化学組成について、どれくらい存在確率があるかを予測する方法や、ICSDに収録されている結晶構造を持つ仮想物質を第一原理計算や合成実験の結果から評価する方法などの開発を進めてきました。この分野では、さらに新しい手法開拓や、データ量を大幅に増やすことによる大きな進展が期待されます。データベースには各物質について多くの項目が収載されていますが、それらを一旦抽象化し、別の視点に立つことで新たな側面が見えることがあります。私はそうしたシステムの背後にあるサイエンスに興味がありますね。

——MI分野は今後どうなっていくのでしょうか。

田中先生:世界はものすごいスピードで進化しています。今はインターネットを通じて世界中の研究室がコラボレーションし、ソフトウェアやデータベースを作っていくというのが当たり前の時代です。日本は欧米に比べてMI分野で後れをとっていますが、私たちは後追いをするのではなく、自分たちの強みを生かすしっかりした基盤を持ち、世界の最先端とコラボレーションすることでMI分野に貢献したいと思っています。今後は、データベースの在り方も大きく変わってくると思います。

JAICI:本日はどうもありがとうございました。

ユーザー紹介

田中 功 (たなか いさお) 先生

1959年生まれ。1982年京都大学工学部卒業。1987年大阪大学大学院基礎工学研究科博士後期課程修了。工学博士。1987年大阪大学産業科学研究所助手。2003年から京都大学大学院工学研究科材料工学専攻の教授に就任、現在に至る。2008年ドイツ政府フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞や2018年本多記念会本多フロンティア賞など多数の受賞歴あり。

林 博之 (はやし ひろゆき) 先生

1981年生まれ。2005年京都大学工学部卒業。2010年京都大学大学院工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。日本学術振興会特別研究員、京都大学特定研究員、特定助教などを経て、2016年京都大学大学院工学研究科助教に着任、現在に至る。2018年よりJSTさきがけ「マテリアルズインフォ」研究員兼務。

化学情報協会では、ICSDやCSDなどX線構造解析で決定された結晶構造のデータベースや物性データベースを扱っております。ICSDには格子定数、原子座標、空間群を始めとする結晶情報、出典情報が収録されています。

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